hosi11:私の満足度(5.0)
私達は当然のこととして、生の権利を享受している。
もちろん、完全無欠ではないものの、様々な庇護を受けながら、様々な人と出会い、別れ、幾多の試練を受けつつも、与えられた生をまっとうするため、泣き・笑い・怒り・喜びを感受しながら、日々刻々と営みを続けている。

しかし、ある日ある時、予想もしないその瞬間に、突如として自らの生の終焉を告げられ、未来への光を閉ざされ闇に包まれた時、人は何を思うだろうか・・・・・・。
「どうして・・・・」という、嘆きや悲しみは当然のことながらも、そこから自らの生に向き合うことができるだろうか。

残された人生の時間を、家族や友人、大事な人たちとの関係性を、どのように捉えていくのだろうか。
もし、それが自分自身の身に起きたことであったなら・・・・・・・。

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この本の著者、山下弘子さん。
1992年10月29日生まれ。

がん保険のTVCM「私はがんになって、いい子をやめました・・・・・」というフレーズのあの女性である。
この方、このフレーズの通り、いまや日本人の2人に1人の罹患率と言われるがん患者。

時は、2012年の10月1日。
当時、19歳にして突如として肝臓がんが発覚し、既にその時点で治療の余地なしという末期がんの診断を下される。


そして、余命半年を宣告され、あまりも突如として、未来ある若き女性に実に過酷な試練が立ちふさがる。
だが、直面したその衝撃と絶望、これ以上ない悲壮感と、喪失と無力感の中、苦悩と葛藤を続けながらも、けなげにもその運命そのものを大きく包み込む生き方を決意し、多くの人々の共感を呼ぶことになる。

その姿は、徐々にマスコミにも登場することにもなり、各地での講演活動という形に昇華していく。
今もなお動画サイトに、その一部が公開されており、そのアクセス数は伸び続けている。

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しかし・・・・・。
本年(2018年)2月28日に、病状が急激に悪化。

3日連続の緊急手術を受け、その後3週間の昏睡状態に陥り、ご主人とご家族に見守られながら、同年3月25日に帰らぬ人となる。
この文章を記する上で、心より謹んでお悔やみを申し上げたい。


この本は2014年11月、まさにその闘病のさなかに出版されたもの。
序章にあたる部分は、病気前の軽い自叙伝から始まる。

人前で話すのが苦手なこと、他人の期待に応えようとする人生感、自分の個性を見出せない悩み、受験の失敗等、決して順風満帆とも言えず、飾らない等身大の自分というものが披露されている。
しかし、ある日突然、身体に異常を感じたことから、急きょ駆け込んだ病院にて、家族にだけ知らされたあまりにも残酷な事実。

obi2そして、自身と家族でその事実を共有するまでのそれぞれの立場での苦悩。
さらに、そこから、19歳という将来ある若き女性に起きた悲劇から、ご本人は底の底まで落ちこみながらも、課せられた過酷な運命を背負い、懸命に自分の生きる意味を見出そうとする過程が描かれている。

でも、そこには、持ち前の明るさと、ご本人曰く、ノー天気で楽天家であるというご気性ではありながらも、それでも一人の若き女性の心の葛藤はそう単純なものではない。
絶望のさなか、手術ができるという一条の光明が見いだされ、2kgにも及ぶ肝臓がんの摘出手術を受ける。

一瞬の喜びを実感しながらも、それでもその後の再発・転移を繰り返し、何度となく遅いかかってくる病魔に対する、その正体の恐ろしさと共に、怒りと憎しみさえも覚えてくる。
また身体的にも激しい痛みや、若き女性には耐えがたい脱毛という症状にも悩まされる。

せっかく復学した大学も、病状再発による中退。
さらに、現代医療の治療に対する期待と現実的な限界への失望感。

もはや、まったなしである。
でも・・・・・・。

そんな中で、著者自身が見つけることができた真実とは・・・・・・。
この本には、そんな著者の葛藤と決意、揺れ動きながらも前に進む、力強い命の力が表現されている。

この本のタイトル、『雨上がりに咲く向日葵のように』というネーミンングで、向日葵という花の名が使われている。
これは、著者の友人から「あなたの人生にタイトルをつけるとしたら何ですか?」と問われて、とっさに好きな花の名の『向日葵』と答えたことから。

そして・・・・・。

向日葵がいつもまっすぐにのびていること。
太陽の方向を向いていること。

鮮やかな黄色は、自分で光を発するわけではないが、月のように太陽の光を反射してまわりを照らすこと。
その姿勢が、見ている人を元気に、笑顔にすることができること。

咲き終わっても、種をしっかりと付けて新たな命になること。

そして、最後には『向日葵』の種が大好物であると、お茶目な言葉で締めくくり、自らの人生を『向日葵』と象徴させた理由を述べている。

もうすべて、この言葉の数々が、著者の人生哲学を凝縮しているように思える。
何度も繰り返しているようで、たいへん、恐縮であるが、この境地に到達するまでには、他者が簡単に共感できるほど軽々しいものではなく、本当に並々ならぬものがあったことと思う。

私は、あのTVCMの「私はがんになって、いい子をやめました・・・・・」というフレーズを聞いた時、当初は、その真意がわからなかった。
別に、「いい子になることをやめることもないのでは・・・・・」とか、「じゃぁ、これからは好き放題するということなのかな・・・・」とも受け取れてしまった。

今となっては、とてもお恥ずかしい。
私は、その程度の感受性しか持ち合わせていないようだ。

でも、この本には、その答えがしっかりと盛り込まれている。
私は、いまさらながら、ご本人の存命中にこの本を手にすればよかったと、深く悔やまれてならない。

ちなみに、この言葉の続きには、「いっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい楽しもうと思います!!」と、実にすがすがしい笑顔で語られている。
この意を深く汲みとることに、実は深い意味があったようだ。

涙を禁じ得ない。
改めて、追悼の意を込めてこの投稿を締めくくりたい。