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isyouinこのサイト名は、”しょうかそんじゅく”と読みます。
この名称は、幕末維新の先覚者、長州藩士吉田松陰が主宰した松下村塾の名に、私の名前の”正”の一字をあてたものです。
直接、松下村塾との思想的な関りはまったくありませんが、私なりの想いが込められています。


syou個人・・・・・・・・・
 なかなか、難しい世の中になってきているのが、日々感じられます。
あってはならないこと、起きてはならないことが頻発しており、正しさの価値観が崩れてきているような気がしてなりません。
しかし、「善人になりましょう!!」と声高に叫ぶのは、私の役目ではありません。
この難しい時代だからこそ、一人一人の個人が主体的に、正しい価値観を持ち続け、自分にも他人にやさしく、直に生きて行くことこそが大事なのではないかと、私は思います。



sita階層・・・・・・・・・
 々(しもじも)とは、大辞泉によると「身分・地位などの低い人々・庶民」と、定義されています。
”身分・地位などの低い人々”という定義はともかくとして、私はこの庶民目線というものを大事にしていきたいと思います。
この国を支えている原動力は、一部の特別な能力を持った優秀な人達だけではなく、この庶民の日常のコツコツとした営みそのものだと思うのです。
私は、その庶民と呼ばれる一人一人の無限の可能性を信じています。



mura単位・・・・・・・・・
 村という言葉は、”村八分”とか”村意識”といったような、どうも閉鎖的・排他的なイメージばかりが強調され、あまり良い意味で使われていないように思います。
でも、どうでしょうか?閉鎖的・排他的というのは本当に村というコミュニティの単位の問題なのでしょうか?逆に都会では絶対にありえないことなのでしょうか?
実は、私達一人一人の心の問題を、いつの間にか都合よくすり替えてしまったような気がしてならなりません。
私は、本来のという由緒あるコミュニティに敬意を表し、今の社会にこそ欠けている要素を大事に見出していきたいと考えます。



jyuku学舎・・・・・・・・・
塾というと、ついスパルタ学習塾を連想してしまいがち。
しかし、私の意図するところは、スパルタ学習塾でも、学校でもありません。
それは、昔の寺子屋のようなものをイメージしています。
寺子屋とは江戸時代、爆発的に庶民の間で発展した教育施設で、手習い所()との呼び名もありました。
身分を問わず、分け隔てなく、個人教育の原点であった寺子屋。
このブログは、教育目的のブログではありませんが、情報発信という意味でのネット上の寺子屋でありたいという願いを込めています。


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